新・五井先生掲示板_老子講義

志の無いもの入るべからず



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


140件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[140] 老子講義P106

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月24日(水)04時54分34秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P106

 誤ちのない、完全性の存在だと思わなければなりません。ここにはっきりと光明思想の道が示され
ているのです。
 ですから私は、この世が如何に悪いように見え、不幸や誤りに充ちているように見えようとも、
それは、真実に存在するものではなく、宇宙神のみ心が未だ、はっきり現れきっていない姿であ
り、宇宙神のみ心、み光がすっかり悪も不幸も、誤った想念行為も、消えてゆく姿である消えてゆく
に従って、本心の光がよりはっきり現われてくるのである。と説いているのであります。
 吾、其の名を知らず。之に字して道と曰う。強いてこれが名を為して大と曰う。大に逝と曰い、逝
に遠と曰い、遠に反と曰う。故に道も大なり。天も大なり、地も大なり。王も亦大なり。域中に四
大有り、而して王は其の一に居る。人は地に法り、地は天に法り、地は道に法り、道は自然に法る。

 この節では、天地に先だって生じていた物について、老子さんは、自分は、その物を知ら
ない、と云っているのです。ただ自分の方から、字して云うと、道と云う、強いて之に名をつけれ
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 ですから私は、この世が如何に悪いように見え、不幸や誤りに充ちているように見えようとも、
それは、真実に存在するものではなく、宇宙神のみ心が未だ、はっきり現れきっていない姿であ
り、宇宙神のみ心、み光がすっかり悪も不幸も、誤った想念行為も、消えてゆく姿である消えてゆく
に従って、本心の光がよりはっきり現われてくるのである。と説いているのであります。

というのです。




[139] 老子講義P105

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月23日(火)20時19分10秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P105

 のであります。そしてそれは、他の何者何事に頼ったり、力を借りたりするものではなく、頼ろう
にも、力を借りようにも、その物は絶対なる一であって、その物の他に、何物何事も存在してはいな
いのであります。天地に先だって存在するものですから、当然そういうわけです。いわゆる独立
独歩なのです。
 しかもこの物は、どのように動こうと、どのように行こうと、決して危ういこともなければ誤ち
もないものであります。ですからこの物を天下万物の生みの親、つまり天下の母と為す。という
のです。
 現在の言葉で言えば、創造主とか、創造主とか、絶対者とかいうのでしょうが、老子は次の節で
は、種々な言葉でこれを現わそうとしているのであります。この節の中で、私が一番心をひかれる
言葉は、同行して殆からず、という言葉なのです。私はこの老子の一言で、私の現在説いている光
明思想というものが、やはり間違いないものであることを更に確信したのであります。
 この天地に先だって生じていた物は、天下の母なのです。この物、大能力は、同行して殆から
ず、つまり、どのように巡り、どのように歩もうと殆くない、誤りがないということなのです。殆
くない、誤ちのない大能力から生み出された、人類をはじめ、すべての存在は、やはり、殆くない、
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 現在の言葉で言えば、創造主とか、創造主とか、絶対者とかいうのでしょうが、老子は次の節で
は、種々な言葉でこれを現わそうとしているのであります。この節の中で、私が一番心をひかれる
言葉は、同行して殆からず、という言葉なのです。私はこの老子の一言で、私の現在説いている光
明思想というものが、やはり間違いないものであることを更に確信したのであります。

というのです。



[138] 老子講義P104

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月21日(日)04時43分36秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P104

 物有りて混成し、天地に先だちて生ず。寂たり寥たり。独立して改まらず。周行して殆からず。
 以て天下の母と為す可し。

 物有りて混成し、という物は、この世でいう物質的な物でないことは勿論ですが、さてそれをど
うして表現したらよいかというと、これが実にむずかしい。天地に先だって生ず、という根本的な存
在なのですから、これを一口に宇宙神と云ってしまえば一番簡単でよいわけなのですが、宇宙神だ
というまでに、種々の説明を加えた方が、知性的な人や、知識欲に燃えている人たちには、その根
本的な存在である宇宙神のみ心がかえって判り易くなってくるわけなのです。そこで、この老子講
義などは、老子さんが様々な言葉で、この根本的な存在(大智慧、大能力)を表現しようとしてお
りますので、説いていてまことに張合があるわけなのです。
 この天地に先だって生じていた物というのは、寂たり、寥たりというように、音もなく、形も
姿もなく、それでいて、在りとしあらゆるものをうちに含んでいる、いわゆる混成しているものな
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 物有りて混成し、という物は、この世でいう物質的な物でないことは勿論ですが、さてそれをど
うして表現したらよいかというと、これが実にむずかしい。天地に先だって生ず、という根本的な存
在なのですから、これを一口に宇宙神と云ってしまえば一番簡単でよいわけなのですが、宇宙神だ
というまでに、種々の説明を加えた方が、知性的な人や、知識欲に燃えている人たちには、その根
本的な存在である宇宙神のみ心がかえって判り易くなってくるわけなのです。そこで、この老子講
義などは、老子さんが様々な言葉で、この根本的な存在(大智慧、大能力)を表現しようとしてお
りますので、説いていてまことに張合があるわけなのです。

ということです。



[137] 老子講義P103

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月21日(日)04時41分8秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P103

  第十一講 独立して改まらず周行して殆からず・・・・

 有物混成、先天地生。寂兮寥兮。独立不改。周行而不殆。可以為
 天下母。吾不知其名。字之日道。強為之名日大。大日逝逝日遠、
 遠日反。故道大、天地、地大、王亦大。域中有四大而王居其一焉。人
 法地、地法天法道法自然。

  [読み方]
  物有りて混成し、天地に先だちて生ず。寂たり寥たり。独立して改まらず。周行して殆から
ず、以て天下の母と為す可し。吾、其の名を知らず。之に字して道と曰う。強いてこれが名を為
して大と曰う。大に逝と曰い、逝に遠と曰い、遠に反と曰う。故に道も大なり。天も大なり、
地も大なり。王も亦大なり。域中に四大有り、而して王は其の一に居る。人は地に法り、地は
天に法り、地は道に法り、道は自然に法る。



[136] 老子講義P102

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月20日(土)17時59分23秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P102

 とになるのであります。その祈り心というもの、他人の平安を祈り、大きくは人類の世界を願う、
世界平和の祈りのような大きな広い心がよいのです。
 世界人類が平和でありますように、という祈りと共に、相手の人の天命(神が定められた使命)
が完うされますように、という深い愛のひびきが、非常に効果をもつのであります。
 相手のその場だけの失意を柔らげてやっても、それは相手の天命を完うさせるための、たいした行
為にはならないのです。相手のその場その場の失意を慰めるということよりも、もっと根本的な、
相手の天命が完うされてその人が、真実の人として、この世の生涯を完うし、あの世での動きも
し易くするような、そういう深い愛の心が大事なのであります。
 そうした深い愛の心というものは、いくら相手の業想念を受けても、その業波動に巻き込まれぬ
ことは、自己にとっても、相手にとってもプラスになることではありません。信足らざれば、信ぜ
ざること有り、と老子が結んでいるように、相手の神からきた天地を信じてやり、人のすべて天命
を持ってこの世に生れ出て来たのであることを、自己を知り、人にも知らせてやらなければなら
ないのです。信とは、神とは神の大愛と。人々の天命の完うを信ずることであるのです。
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 世界人類が平和でありますように、という祈りと共に、相手の人の天命(神が定められた使命)
が完うされますように、という深い愛のひびきが、非常に効果をもつのであります。
 相手のその場だけの失意を柔らげてやっても、それは相手の天命を完うさせるための、たいした行
為にはならないのです。相手のその場その場の失意を慰めるということよりも、もっと根本的な、
相手の天命が完うされてその人が、真実の人として、この世の生涯を完うし、あの世での動きも
し易くするような、そういう深い愛の心が大事なのであります。

というのです。




[135] 老子講義P101

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月19日(金)05時08分56秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P101

 こうした場合、こちらが素直でない、心に自己本位の想いのあるような人の方が、その人の愚痴
の波に巻き込まれず、いい加減にあしらってしまうので、損をみないで済む、という結果になるも
のです。
 そこで、私は、失に同じくするということが全くむずかしいことである、というのです。失意の人
を慰め力づけるために、相手の心と立場に立ってやることは、老子の云う通り良いことであり
ますが、慰め力づけるこちら側が、相手と同じ業想念波動の渦にいてはいけないし、相手の想
とは全くかけ離れた想念の状態でいてもいけないのです。
 こちら側は常に、守護の神霊を含めた、自己の本心の立場に自己を置いて、相手の失に同じくし
なければいけないのです。自己の本心の立場というものは、神のみ心の中です。神のみ心の中には、
愛も智慧も力もすべて含まれているのです。
 そうした本心の立場から、自然と口に出てくる言葉で相手を慰め、相手を力づけてやるようにし
ていますと、相手の業想念波動(迷いの想い)に同化されることなく、相手の業想念を浄め去
る光明波動が、自己から相手に伝わってゆくのです。
 そうした本心の立場に自己を置くのには、どうしたらよいかと云いますと、祈り心一念というこ
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 そこで、私は、失に同じくするということが全くむずかしいことである、というのです。失意の人
を慰め力づけるために、相手の心と立場に立ってやることは、老子の云う通り良いことであり
ますが、慰め力づけるこちら側が、相手と同じ業想念波動の渦にいてはいけないし、相手の想
とは全くかけ離れた想念の状態でいてもいけないのです。
 こちら側は常に、守護の神霊を含めた、自己の本心の立場に自己を置いて、相手の失に同じくし
なければいけないのです。自己の本心の立場というものは、神のみ心の中です。神のみ心の中には、
愛も智慧も力もすべて含まれているのです。
 そうした本心の立場から、自然と口に出てくる言葉で相手を慰め、相手を力づけてやるようにし
ていますと、相手の業想念波動(迷いの想い)に同化されることなく、相手の業想念を浄め去
る光明波動が、自己から相手に伝わってゆくのです。

というのです。



[134] 老子講義P100

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月18日(木)03時46分9秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P100

いのです。
 これは、只素直な心というだけでは駄目なのでありまして、相手の心の状態を見抜いて、相手の
心に合わせてゆく、洞察力がなければなりませんし、深い愛の心がなければなりません。
 そこで、そうした洞察力、洞察力を養い、深い愛の心を自己のものとするにはどうしたらよいか、
ということが、こうした人々に対処する根本の問題になってくるのであります。
 只素直な良い人でありますと、訴えたり、愚痴ったりするのを、その人と同じ思いになって、悲
しみの心で聞いてやっていることでしょう。そう致しますと、相手の訴え癖や、愚痴り癖が培われてし
まって、その失意に自己を陥れた、自己の欠陥に気ずかずに、そのままの魂の高上を阻止してしまう
ような生き方の人になってしまいます。
 そうした人々が、繰り返し、繰り返し、素直な善良なその人に、愚痴り訴えつづけますと、
ついには、素直な善良な人の方が、かえって、相手の業想念の波の中に巻き込まれてしまって、自
分自身の生活や心の状態を乱されてしまうことのようになり、折角、失に同じくするという、老子の真理
の教えがかえって仇となってしまうのです。
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 これは、只素直な心というだけでは駄目なのでありまして、相手の心の状態を見抜いて、相手の
心に合わせてゆく、洞察力がなければなりませんし、深い愛の心がなければなりません。
 そこで、そうした洞察力、洞察力を養い、深い愛の心を自己のものとするにはどうしたらよいか、
ということが、こうした人々に対処する根本の問題になってくるのであります。
 只素直な良い人でありますと、訴えたり、愚痴ったりするのを、その人と同じ思いになって、悲
しみの心で聞いてやっていることでしょう。そう致しますと、相手の訴え癖や、愚痴り癖が培われてし
まって、その失意に自己を陥れた、自己の欠陥に気ずかずに、そのままの魂の高上を阻止してしまう
ような生き方の人になってしまいます。

というのであります。



[133] 老子講義P099

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月17日(水)08時52分34秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P099

う気持でその人に接していれば、その人はその気持ちを喜んでくれて、その人を愛してくれるものな
のです。
 私たちでも、真面目に話を聞いてくれる人をみると、自分と全く一つ道の人として、その人を愛
し、その人の存在することを喜びとするのです。
 誰でも愛され敬われる、一番必要な心は、素直な心であるのです。素直な心の人は誰とで
も調和できて、そして自然と、道に叶ってくるし、徳をも積んでくるのです。私などが今日の心境
になり、今日の立場にあるのは、頭が良かったからでも、才能があったからでもなく、只、素直な
心をもっていた、という一つの美点の為だったのです。
 素直という心は、道を極めるためには、得難い、大事な心なのであります。神様は素直な心の人
を一番喜んで下さるのです。
 そこで今度は、失に同じくすれば失ある者も亦之を得ることを楽しむ。というところの説明を致
しましょう。前に説明致しました、道ある者とか、徳ある者、というような偉い人、秀でた人との
接触の方より、失敗したり、貧乏したり病んだりしている、いわゆる失意の人に対する方が、対し
易いと人々は考えられるでしょうが、失意の人或いは欠点のある人に対する程むずかしいことはな
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 誰でも愛され敬われる、一番必要な心は、素直な心であるのです。素直な心の人は誰とで
も調和できて、そして自然と、道に叶ってくるし、徳をも積んでくるのです。私などが今日の心境
になり、今日の立場にあるのは、頭が良かったからでも、才能があったからでもなく、只、素直な
心をもっていた、という一つの美点の為だったのです。
 素直という心は、道を極めるためには、得難い、大事な心なのであります。神様は素直な心の人
を一番喜んで下さるのです。

というのです。



[132] 老子講義P098

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月16日(火)16時21分23秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P098

てとても私たちにはできそうもないなどと、はじめから諦めずに、少しづつでも、老子の指先に
すがって、真実の道を歩ませて頂きましょう、という気持ちで、やれるだけのことを真似ていったら
よいと思うのです。
 人間の心というものは面白いもので、やろうと決意してやりはじめると、自分ではとてもできそ
うにもないと思うことが、意外と次第にできてゆくものなのです。スポーツでも、技術でも、たゆ
まず修練していますと、いつの間にか初歩の頃とはまるで見違えるように、その道で立派になって
ゆくのです。
 これは、心の問題でも伝えることで、修練しつづけ、磨きつづけてゆけば、一月二月、一年二年、
自分で気づかぬうちに、心のトレーニングができてきて、人から見ると、何んとあの人は立派にな
ったろう、と思われるようになるものです。
 私の会の人たちでも、平和の祈り一念の心の修業をつづけているうちに、やらぬ前とは見違える
程の高い境地になっいる人がかなり存在するのであります。ですから、相手が道に秀でた人であ
れば、その人の説を素直に聴聞する気になって、その説を拝聴していれば、老子の云う、道と同じ
うすることになるわけであります。徳を同じうにする、ということでも、その人の徳の高さを慕い敬
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 人間の心というものは面白いもので、やろうと決意してやりはじめると、自分ではとてもできそ
うにもないと思うことが、意外と次第にできてゆくものなのです。スポーツでも、技術でも、たゆ
まず修練していますと、いつの間にか初歩の頃とはまるで見違えるように、その道で立派になって
ゆくのです。
 これは、心の問題でも伝えることで、修練しつづけ、磨きつづけてゆけば、一月二月、一年二年、
自分で気づかぬうちに、心のトレーニングができてきて、人から見ると、何んとあの人は立派にな
ったろう、と思われるようになるものです。

ということです。



[131] 老子講義P097

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 4月15日(月)15時28分10秒 zaq7ac4d037.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P097

き方でその人に対さなければいけない。
 また、徳ある者には徳に同じくし、という風に、その人の心の在り方と等しい心の在り方で対さ
なければいけない、というのであります。
 老子の説法は、他の章と同じように、実にむずかしいことを、平然と云ってのけているのですが、
こう平然と云われる教えを、はいそうですね、と頭で受け止めても、なかなかそうなり得るもので
はありません。
 道に在る者が、同じ道でありまして、そう高い境地にいる人でなければ、何んとかその人の心境
と同じ心境で対することができましょうが、自分より高い境地の道を歩んでいる人ですと、これは
どうも、一つ心で対処することができそうにありません。
 老子の教えは毎回申しますように、聖人君主に対しての説法でありますので、聖人君主の心の状
態まで行っておりませんと、教えられて、胸のすくような魂の状感は覚えますが、実際には実行で
き得ない気がするのです。
 しかし、老子の境地に普通人が行きつくことはできない迄も、老子の指し示している道を発見し、
道の初歩や一歩二歩は、誰でも歩ゆむことができるのです。ですから、老子の教えはむずかしく
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 老子の教えは毎回申しますように、聖人君主に対しての説法でありますので、聖人君主の心の状
態まで行っておりませんと、教えられて、胸のすくような魂の状感は覚えますが、実際には実行で
き得ない気がするのです。

というのです。


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