新・五井先生掲示板_老子講義

志の無いもの入るべからず



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


178件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[178] 老子講義P143

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 7月10日(水)17時42分47秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P143

す。

 こうした数少な存在に働いている力が、道の力つまり、神の力であるのですから、道のことを、
小と名づく可し、と云った老子の言葉は流石である、と感嘆させられるのです。

 之に帰して、主と為らず。名づけて大と為す可し。

 この節は、前節とは、全く逆に、名づけて大と為す可し、となっております。
 万物は前節でも述べたように、道の力によらないで生じているものも生育しているものもないの
ですから、従って、万物は大道に帰一していることになります。それなのに、大道ら自らをすべて
の主宰者となりとして現わすことをしていないのです。
 どこからどう考えても、大道は万物すべての主宰者であり、生みの親であり、育ての親であり、
すべてのすべての力の源でであることがはっきりしているのですが、大道は自ら我は主宰者なりと
名乗りでられない。人間的に考えれば、これだけの力を持ち、すべての生命の流れを自ら手中に
握っていながら、自分を表面的に現わすことをしない、ということは、そのみ心が、どれ程広く、
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 こうした数少な存在に働いている力が、道の力つまり、神の力であるのですから、道のことを、
小と名づく可し、と云った老子の言葉は流石である、と感嘆させられるのです。

というのです。




[177] 老子講義P142

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 6月28日(金)06時34分15秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

老子講義P142

 万物を衣被して、主と為らず。小と名づく可能し。

 大道即ち宇宙神のみ心力というものは、実に不可思議で、愛に充ちているものであります。人
類から、山川草木、獣類、鳥魚虫類に至るありとしあらゆるものに、それぞれの形を創り成し、色
彩を与え、生命力を輝かせていながら、今回を各自の主人公にさせて、自身は何処かにひっそり
としていて、自分はお前たちの主人だぞなどと云って、万物に命令したりしない。それでは一
体何如処にひそんでいるのだろうか、と考えてみると、万物それぞれの内部にいて活動している生命
そのものだと云える。そこで、道というものは、小と名づけてものではないのか。
 という説明になるのですが、現在のように、科学が進んで参りますと、老子の云う、小と名
づく可し、という言葉が、実に当を得ている言葉だということが判ってくるのです。
 何処かと申しますと、万物、あらゆる生命も物体も、現在の科学によれば、炭素Cとか水素Hと
か、酸素ひとが窒素Nとかいう、多くの元素によってできていることが確実に判ってきてますし、
その元素はまた、電子や中間子など種々の微粒子によってできている、ということも判ってきい
ますし、私共の宇宙科学では、もっともっと微妙な宇宙子によってできていることも判明しています。
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 何処かと申しますと、万物、あらゆる生命も物体も、現在の科学によれば、炭素Cとか水素Hと
か、酸素ひとが窒素Nとかいう、多くの元素によってできていることが確実に判ってきてますし、
その元素はまた、電子や中間子など種々の微粒子によってできている、ということも判ってきい
ますし、私共の宇宙科学では、もっともっと微妙な宇宙子によってできていることも判明しています。

というのです。



[176] 老子講義P141

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 6月27日(木)04時31分51秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P141

 大道というものは、大きく一つに固まったようなものでも、広がって固定しているようなもので
もなく、水が広がりあふれ充ちていながら、右にも左にも自由に動き得るように、右にも左にも
動くこともできれば、左右に分けることもできるし、また、縦でも横でも自由自在に得るもの
なのである。というのです。

 万物之を恃み、以て生じて而して辞せず。功成りて名を有せず。

 万物、つまりすべて生物は、この大道の力によって生じているのだし、生育し生かされている
のであるが、道、今の言葉で云えば、宇宙神は、万物に対して、生命力を与えながら、その生育や
繁茂を阻止したり、邪魔だてしたりはしないで、自然の力に任せておくし、万物の方も、これだ
けで結構です。というように、その生命力を辞退したりはしない。また、神は万物に生命力を与え、
万物それぞれの分野において、生命の歓喜を味あわせるような、素晴らしいことをしながらも、そ
の名を高めようとしたり、語ったりはしない。
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 万物、つまりすべて生物は、この大道の力によって生じているのだし、生育し生かされている
のであるが、道、今の言葉で云えば、宇宙神は、万物に対して、生命力を与えながら、その生育や
繁茂を阻止したり、邪魔だてしたりはしないで、自然の力に任せておくし、万物の方も、これだ
けで結構です。というように、その生命力を辞退したりはしない。また、神は万物に生命力を与え、
万物それぞれの分野において、生命の歓喜を味あわせるような、素晴らしいことをしながらも、そ
の名を高めようとしたり、語ったりはしない。

というのです。



[175] 老子講義P140

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 6月27日(木)04時31分20秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P140

  第十五講 大道は氾としてそれ左右すべし・・・

 大道氾兮其可左右。 万物恃之、以生而不辞。 功成不名有。 衣被万
物而不為生。[常無欲知]可名於小。万物帰之而不為主。可名為犬。
以其終不自為犬、故能成其犬。

  [読み方]
  大道は氾として其れ左右す可し。万物之を恃み、以て生じて而して辞せず。功成りて名を有
せず。万物を衣被して、主と成らず。小と名づく可し。万物之に帰して、主と為らず。名づけ
て犬と為す可し。其の終に自ら犬と為さざるを以て、故に能く其の犬を成す。

  大道は氾として実れ左右す可し。



[174] 老子講義P139

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 6月25日(火)00時08分49秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P139

は、死んでも亡びないではありません。肉体が無くなっても、生命に霊体を?って生きつづけて
いるのだ、ということを知るまでは、丁度夢の世界を迷い歩いているうちに、様々な妄想の中をさ
。まよい歩くのであります。生命が死んだ生活をつづけるわけなのであります。
 肉体人間というのは、あくまで、生命のひびきの一つの現れのにしか過ぎないので、真実の人の
姿は幾通りの世界をもつくっているのです。その現れの姿の一駒の肉体というもののみに掴まっ
ていて、この肉体世界だけしか、人間の世界は存在しない、というような浅薄な人間では駄目な
のだと老子も伝えたいのであります。
 何もの、何事にも心を乱さず、如何なる利害得失にも迷わず、永遠の生命の大調和のひびきを、
その、想念行為に現わしてこの世を生きぬいてゆくには、やはり自らを知る明の境地に立ってい
なければなりません。
 明の境地というものは生やさしく入り得るものではありませんから、その明の境地への入り口であ
る、祈り心をもって日常生活をすることが大事であります。祈り心のうちで最も高い広い祈り心は、
世界人類が平和でありうますように、という世界人類の平和を願う祈り心であると、私は確信してい
るのであります。
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 明の境地というものは生やさしく入り得るものではありませんから、その明の境地への入り口であ
る、祈り心をもって日常生活をすることが大事であります。祈り心のうちで最も高い広い祈り心は、
世界人類が平和でありうますように、という世界人類の平和を願う祈り心であると、私は確信してい
るのであります。

というのです。




[173] 老子講義P138

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 6月24日(月)09時13分23秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P138

 この久し、という言葉は、この世だけの時間を云っているのではありません。道にそって生きて
いる者の永遠性というものを云っているのであります。それは次の

 死して亡びざるは寿し

 という言葉と関連しているわけです。
 死して亡びざる、ということは一体どういうことでありましょう。
 唯物論的な考え方からすれば、肉体が死ねば、生命は亡びたことになります。
人が、この言葉を解釈すれば、死して亡びざるとは、何かこの世に自己の仕事や、善行を残してい
った。そうした仕事や善行が、長くその人の名をこの世にとどめておくであろう、ぐらいの解釈し
かつきません。
 ところが、死して亡びざる者は、寿 しというのは、そんな浅い言葉ではないのです。
 死んでも亡びない、ということは、肉体が死んでも、生命は生きているのだ、という真理を知っ
ていることなのであります。肉体が亡びたら自分の生命はもう無いのだ、と思っているような人
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 ところが、死して亡びざる者は、寿 しというのは、そんな浅い言葉ではないのです。

というのです。



[172] 老子講義P137

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 6月23日(日)07時29分9秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P137

も、その仕事、その道を成就するものなのです。ですから、自己の天命を信じて、その場、その時
々の環境立場に全力を挙げてゆくということが大切なのです。
 各人にはすべて天命があるのですから、その環境立場が嫌だから、と云ってすぐに遁げ腰になっ
たりしていては、自己の天命を完うすることは到底できるものではありません。何事にも全力を挙
げてぶつかってゆける人こそ志有る者として、神は天命を成就させるのであります。

 其の所を失わざる者久し。

 其の所というのは、単なる場所とか、地位とか、役職ということではなく、真理の所、老子流に
云えば道に立っていれば、道を見失わなければ、ということであります。今日的に云えば、神の
み心の中にいれば、ということです。
 どんな高い地位にいようと、どのような立派な住宅に住んでいようと、それは久しいものではあ
りません。この世だけの地位とか、住いというものは、この世だけのものであって、いくら長く
つづいても、この世だけのもので、百年とはつづきません。
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 其の所を失わざる者久し。

 其の所というのは、単なる場所とか、地位とか、役職ということではなく、真理の所、老子流に
云えば道に立っていれば、道を見失わなければ、ということであります。今日的に云えば、神の
み心の中にいれば、ということです。
 どんな高い地位にいようと、どのような立派な住宅に住んでいようと、それは久しいものではあ
りません。この世だけの地位とか、住いというものは、この世だけのものであって、いくら長く
つづいても、この世だけのもので、百年とはつづきません。

人生百年時代なんで百年ぐらいは続くかも知れませんが、そこまでですね。

というのです。



[171] アクセスカウンター表示させました。

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 6月 7日(金)20時19分49秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

。。。



[170] 老子講義P136

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 5月31日(金)01時17分24秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P136

  この言葉は、よく云われる言葉なのですが、人間の欲望というものには限りがありませんで、金
が出来れば地位が欲しくなり、地位が高くなれば、もっと高くなりたくなり、最高の地位につけば、
いつまでもその地位に止まりないと、種々と権謀術策をして、心の休まる暇がありません。
 ですから、足るを知るということは、実に大事なことだと思うのです。どんなに貧しい生活をし
ていても、その貧の中で満足して、心を休んじていられる人は、富んでいるも同じ心の余裕という
ものがあります。安心立命していられます。想念を常に物質世界の中に置かずに、神のみ心の中に
入れきっている人は、如何なる環境にいても、足ることを知る人であり、心富める者なのでありま
す。何故なれば、神は無限の富者であるからです。

強いて行う者は志有り

 これは、自らが思い立った道を、どのように困苦があろうとも、努力研鑚して突き進んでゆく人
は、その道に志有る者であって、必ずその道は成就するというのであります。
 実にその通りでありまして、天命がその仕事あるいは、その道にある者は、どんなことがあって
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 ですから、足るを知るということは、実に大事なことだと思うのです。どんなに貧しい生活をし
ていても、その貧の中で満足して、心を休んじていられる人は、富んでいるも同じ心の余裕という
ものがあります。安心立命していられます。想念を常に物質世界の中に置かずに、神のみ心の中に
入れきっている人は、如何なる環境にいても、足ることを知る人であり、心富める者なのでありま
す。何故なれば、神は無限の富者であるからです。

というのです。



[169] 老子講義P135

投稿者: ひぐひぐ 投稿日:2019年 5月30日(木)00時26分29秒 zaq7ac4d619.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

老子講義P135

世界平和の祈りの運動によって日本のものにしたいと思っているのです。私たちのやっている宇宙
科学の実践は、その大きな力になることは間違いないのです。
 このように、人に勝つには力ですが、自分に勝つには何が必要なのか、老子は、強し、と云って
いるだけなのです。これは、前に自ら知る者は明なり、と云っていますので、自分の欲望、業想念
行為に勝つには、明の心境になるに越したことありません。
 明の心の現れとしては、あらゆる欲望に負けぬ強い意志力が生れてきます。明の心境から生れ
た意志力というのは、自然法爾に生れてくるので、如何なる業の誘惑でも、どうにもならぬ程、底
強いものなのです。それは、単に意気張っていたり、耐えているようなものではなく、さらりさら
りと何気なく、業の誘惑を超えてゆく、というような自由無礙の強さなのです。真実に自分に勝つ
ということは、容易なことではありません。あらゆる業想念波動を超える程の強い意志力は、やは
り男といわゆる程の心境にならぬと現われぬことなのでしょう。

 足ることを知る者は富めり
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世界平和の祈りの運動によって日本のものにしたいと思っているのです。私たちのやっている宇宙
科学の実践は、その大きな力になることは間違いないのです。
 このように、人に勝つには力ですが、自分に勝つには何が必要なのか、老子は、強し、と云って
いるだけなのです。これは、前に自ら知る者は明なり、と云っていますので、自分の欲望、業想念
行為に勝つには、明の心境になるに越したことありません。
 明の心の現れとしては、あらゆる欲望に負けぬ強い意志力が生れてきます。明の心境から生れ
た意志力というのは、自然法爾に生れてくるので、如何なる業の誘惑でも、どうにもならぬ程、底
強いものなのです。それは、単に意気張っていたり、耐えているようなものではなく、さらりさら
りと何気なく、業の誘惑を超えてゆく、というような自由無礙の強さなのです。真実に自分に勝つ
ということは、容易なことではありません。あらゆる業想念波動を超える程の強い意志力は、やは
り男といわゆる程の心境にならぬと現われぬことなのでしょう。

というのです。


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